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街 八丁堀

2014/04/28  DEICHIBA食べ歩きブログ ステーキなワイン日記 八丁堀

新緑の眩しい季節になりましたね

今回はDE ICHIBAがある「八丁堀」について

少し書いてみようと思います

地域としてはこの辺です⇒八丁堀

北は八重洲通り

東は亀島川

南は鍛冶橋通り

西は首都高速都心環状線までの内側にあります。

まずは名前の由来から。

ご存知の方も多いとは思いますが

かつてこの地にあった長さ八町(約870m)の堀に

ちなんで付けられました。

時代劇などでお馴染みの町名です。

江戸初期には寺町として栄えたところでしたが

1635年に多くの寺社は浅草へ移転させられ

その跡地に奉行所で働く与力や同心の

住み暮らす組屋敷が建てられました。

時代劇で与力・同心が「八丁堀の旦那」と呼ばれるのは

これが由来となっています。

ちなみに江戸の奉行所は警察組織というより

現在の都庁のような行政全般を管轄する機構だったようです。

ところで

八丁堀にはいろいろな歴史を感じさせるものがあります。

今回はそのうちから一つをご紹介します。

堀部安兵衛という侍をご存知でしょうか。

個人的にも思い入れのある人物です。

元禄時代の人で34歳という若さで亡くなりました。

元々優れた剣士だった安兵衛は

高田馬場の決闘」で一躍時の人となり

後に「忠臣蔵」の赤穂義士の一人として

現代まで知られる人物です。

そんな彼が暮らしていたのが現在の八丁堀でした。

実際の人物像やその背景などには

諸説あり、また数々の戯作のなかで誇張されたり

美化された部分も多々あるといいます。

しかし、故池波正太郎さんの書いた「堀部安兵衛」が

個人的には大好きです。

何度も失敗を重ねながらも周囲の人々に愛される姿、

どこまでも人間臭く清廉潔白なヒーローではない生き方が

逆に心を打つような気がします。

DSC_0113

この碑はDE ICHIBAから見える亀島橋の袂にあります

安兵衛の縁の地、八丁堀1丁目の町会が

昭和44年に建てたものです。

石碑の内容はこちら⇒堀部安兵衛武庸之碑

 

 

次回はちょっと間が空きましたが

「鶴齢を訪ねて」の続きを書きたい思います